「おじんぬユさんぬ」のおじんぬです。
ユさんぬ大好き!
今年もまた、おじんぬユさんぬにとっての「スペシャルDAY」がやってきました^-^
「ユさんぬのお誕生日」は「おじんぬとユさんぬが初めて出逢った日」。
誕生日が不明の野良猫だったユさんぬに、友人の紹介で一番最初にかかった動物病院の先生が「出逢った日を誕生日にしてあげたらどうですか?」と粋な提案をして下さったのがきっかけで、ユさんぬの誕生日はこの日になりました。
「出逢った記念日」というだけで特別な日なんですが、ユさんぬのお誕生日にもなったこの日、7月24日は、それ以来おじんぬユさんぬにとって「1年で1番大切な記念日」。
毎年この日になると、色々あれど、ユさんぬと二人なんとかまた1年無事に一緒に年を重ねられたこと、おじんぬがユさんぬにした約束を今年もクリア出来たことをホッと嬉しく感謝するとともに、
また来年も同じようにユさんぬにした約束を守り、無事にこの日を迎えられるだろうか、と様々な想いが沸いて、感慨深いと共に身が引き締まる思いがします。
今日は、おじんぬがユさんぬにした「誓い(約束)」について、少しですがお話させてください。
では、行ってみましょう!
今日は、おじんぬがユさんぬにした「誓い(約束)」について、少しですがお話させてください。
では、行ってみましょう!
私が愛猫に誓っていること【愛猫との約束】
おじんぬがユさんぬに誓った約束は「たったひとつ」
ユさんぬにおじんぬの「パートナー(ヨメ猫)」になってもらうことを決心したその日に、
「必ず1分1秒でもおじんぬの方が長く生きて、これからの猫生、絶対にユさんぬを最後まで一人ぼっちにしない。」
と、ユさんぬに話をして誓いを立てました。
- ユさんぬが少しでも幸せに楽しく暮らせる環境を作ってあげたい
- 毎日毎日「大好き」「愛してるよ」って言ってあげたい
- いっぱいいっぱいコミュニケーションをとってあげたい
- ユさんぬにとって恥ずかしくない、ユさんぬが自慢できるようなダーリンになりたい(甲斐性なしから脱却したい)
- いつかキャットウォーク付きのお部屋をプレゼントしてあげたい
等々、等々、してあげたいこと、野望、個人的に約束したいことは山ほどあるんですが、その何よりも自分が一番大切だと思う事。
「一度人間に飼われた動物は、たとえどんな理由があったとしても、もしも一人になってしまったら、ただでさえ厳しい野生の世界では到底生き延びることが出来ない。例外は0ではないかもしれないが、ほぼ間違いなく悲惨な運命をたどることになってしまう。だから軽はずみに「飼う」と決めてはいけないし、最後までしっかり見届ける覚悟と責任が必要だ」
もちろんそういう意味(飼い主の最低限の責任)からの約束、でもあるんですが、何よりも単純に
ひとりぼっちはさみしいじゃないですか。
8年前のあの日、ひとりぼっちで迷い込んできたユさんぬ。(痩せて、下半身の毛がツルっと抜けて無い状態でした。皮膚は綺麗ではありましたが)
ユさんぬに出会うまで、物心ついた頃からどうしてか、どうしても、どんなに人の輪の中にいても、どんなに楽しくても、心の奥底に埋められない「空白」があって、決してそんな風には見られないけれど、ずっと内心自己否定(自意識過剰の裏返しの意味もあったかもしれませんが)と虚無感を抱え続けてきたおじんぬ。
ユさんぬは、そんなおじんぬの心の奥底の「空白」を不思議なくらいストンっと埋めてくれました。
ユさんぬは、そんなおじんぬの心の奥底の「空白」を不思議なくらいストンっと埋めてくれました。
本当に不思議な話ですが、ユさんぬと出逢った時、「ああ、やっと自分の半身に出逢えた」と感じたんですよね。
結婚した人が、結婚相手と出逢った時に「ああ、私この人と結婚するんだろうな」って思った、って話があるじゃないですか。まさにそんな感じ。
強烈な、とか激烈な感じではなくて、ストンっと落ち着くところに落ちてくるみたいに、パズルのピースがはまるみたいに、静かに、でも全ての道理が繋がるような、そんな感覚。
ユさんぬの、動物の持つ「無償の愛情」や、「純粋さ」、「感覚と感覚で分かり合う、伝わり合う感じ」によって、おじんぬの心がどれだけ癒され、満たされていることか。
ユさんぬに出逢ったことによって、本当におじんぬの心は救われました。
抜け出すまで理由が分からなかった、何故か同じところをずーっと延々と回り続けているかのような、魔のネガティブループからやっと抜け出すことが出来た。
ユさんぬに出逢ったことによって、本当におじんぬの心は救われました。
抜け出すまで理由が分からなかった、何故か同じところをずーっと延々と回り続けているかのような、魔のネガティブループからやっと抜け出すことが出来た。
「ひとりよがりでなく愛する」ことができるようになった。ポジティブな自分に変わることが出来た。楽しく頑張ることができるようになった。
自分のことも初めて自意識過剰的にではなく少し愛せるようになった。(悪くないな、嫌いじゃないな、って思えるようになった)
まだまだ二人でギリギリ暮らしていくのがやっとだし、全然甲斐なしではありますが、それでも本当にユさんぬのおかげで色んな事が変わった。(客観的に見たらちっぽけかもしれませんが、自分にとっては大きいです)
本当に、おじんぬは誇張ではなく、ユさんぬのことを「おじんぬを助けてくれた神様(女神様」だと思っています。
本当に、おじんぬは誇張ではなく、ユさんぬのことを「おじんぬを助けてくれた神様(女神様」だと思っています。
ユさんぬと出逢えたおかげで、おじんぬの心は「ひとりぼっち」ではなくなりましたし、「特別な存在「「大切な存在」がそばにいてくれることが、「こころがひとりぼっちではないこと」が、どれだけ幸せで、どれだけプラスのパワーを生むものなのか、本当にユさんぬと出逢ってからずっとリアルに噛みしめています。
だからこそ、おじんぬはユさんぬを、絶対に「ひとりぼっち」にはしたくない。
この世に生き物として生まれてきた以上、いつか必ず「おわりのひ」が来ます。そんなこと、怖くて、さみしくて、考えたくもないけど、必ず来る。
本当はユさんぬと一緒に、同時におわりを迎えられるのが究極の望みだけど、それは恐らく不可能に限りなく近い甘い望みだから。
だから、おじんぬはユさんぬより1分でも1秒でも長く生きて、ちゃんと笑顔でユさんぬの猫生を見届けてあげたい。
自分が先にいなくなってしまったら、ユさんぬが物理的に生きていけなくなってしまって困る、というのももちろんなんですが、「こころ」的にも、パートナーがいなくなってひとりぼっちになってしまうさみしさ、辛さを、ユさんぬには絶対味合わせたくないのです。
健やかなる時も病める時も、晴れた日も雨の日にも、変わらずそばに「居る」ということ。どんな時も、なにがあっても、安心してもらえるように、出来る限り「笑顔で」いるということ。
実際の所、猫が別れをはじめ、物事をどう感じているのか真には分からないので、なんとも勝手な誓いではあるんですが、でも、それが、おじんがユさんぬにに出来る、一番の「恩返し」なんじゃないかなと思うので、(それにただ純粋に、おじんぬがユさんぬにそうしたいと思うので)
ユさんぬと暮らし始めた最初の頃から、行く先々で知り合った人とユさんの話をする度に、自分からは何も言ってないにも関わらず、先々のペットロスの心配をされるようなおじんぬですが(何故だろう?)
「この誓いだけは必ず全力で全うする!」という覚悟で日々生きています。
簡単そうにみえて実は究極に1番難しい誓い
「必ず1分1秒でもおじんぬの方が長く生きて、これからの猫生、絶対にユさんぬを最後まで一人ぼっちにしない。」という、おじんぬがユさんぬにした、たったひとつの誓い(約束)。
今年もまたなんとか無事に生きて、めでたく記念日を迎えられたわけなんですが、こうして年を重ね、自分がどんどん「年をとる」ごとに、
最初から分かっていて、それでもあえて誓ったのだけど、「生きて一緒に居る」というただそれだけのことが、当たり前に簡単そうに見えて、いかに他のどんな約束よりも、難しい究極なものか、ということが肌で感じられてきて、身が引き締まる思いがするんですよね。
「人間はいつ死ぬか分からない」「生は有限である」
理屈としては、当たり前のことで、知識としては理解している。けれど、日々有難くも普通に生きられていると、どこか「いつまでもこのまま同じように生きていられるような」気持ちになってしまう。
でも、人生の半分を過ぎ、すっかり中年になったこの頃、「ああ、人間は本当に有限なんだな」ということをすごくリアルに感じるようになりました。
今年に入ってから特に、ユさんぬともども原因不明の体の不調が出ることも多く、(ごく最近も自分に体験のない不調が出てヒヤッとしました)体の機能の低下や老いへの不安も感じますし、同時に「年をとったら出来る限りのメンテナンスをしていかなければいけないんだな」ということも痛感しています。(おじんぬは同年代の人より体が衰えているのを感じるので特に)
体だけじゃない、災害や事故、事件、等々、当たり前なんだけど、本当に「1日どころか1秒先の未来も保障されたものではない」んですよね。
きちんと最低限元気な状態で「生きて」ユさんぬのそばに居てあげられること。どこかに出かけたらきちんと無事にユさんぬの元に帰ってきてあげられること。
こんな当たり前にみえることが、どれほどの瞬間瞬間の確率を乗り越えて成立する奇跡的なものか、を思うと、本当に有難い、と感謝の気持ちを感じると同時に、すごく怖くもなるのです。
私は年々恐らく色んな意味で分が悪くなっていく、ありとあらゆる確率の線を越えて、「約束」の地点まで無事にたどり着くことが出来るんだろうか、と。
私は年々恐らく色んな意味で分が悪くなっていく、ありとあらゆる確率の線を越えて、「約束」の地点まで無事にたどり着くことが出来るんだろうか、と。
だから、「ユさんぬより必ず1分でも1秒でも長く生きる」という約束は、おじんぬの誓いでもあり、一番の願いでもあります。
もちろん思いだけでどうにもならないこともあるので、現実的にあらゆる事態を想定して対策を考えておかなければならないなあと年々感じているんですが、
でも本当に、どうしても、この誓いだけは自分の手で果たしたい!ので、日々自分にできる限りのことをしつつ、幸運の女神さまが微笑んでくれるように、実直に生きていきたいと思います。
「想いの強さ」は、全てを可能にすると信じて!
まとめ
さてさて、今回はなんだか真面目でお恥ずかしい話になっちゃいましたが^^;とにもかくにも、今年もまた「ユさんぬのお誕生日&おじんぬユさんぬが初めて出逢った記念日」を無事に迎えられて本当に嬉しいです^-^
現在時刻は0時を回り、いよいよ記念日がスタートしたところ。今日はユさんぬと二人でささやかだけど楽しくお祝いをする予定^-^プレゼントやも準備したし、あとは食べ物系を調達してきて……っと。フフフ、ユさんぬ喜んでくれるかなあ。
ユさんぬは、なんか誕生日っていうか、いいことがありそうなことをおじんぬの様子から読み取っているのか、まるで自分が明日誕生日だということを知っているかのようなお返事をしてくれたり、レア度の高い「机の上でのゴロン」をしてくれたりと、昨日からなんだか「ウキウキごきげんモード」なので、きっと喜んでくれるハズ!
昨日のユさんぬの「ウキウキごきげんモード」の模様を動画に撮れましたので、よかったらぜひ見てみてください^^
「おじんぬユさんぬのYouTubeチャンネル」はこちらから→★
ああ、おじんぬも楽しみだなあ♪
というわけで、また来年も無事にこの日を迎えられることを祈りつつ、今日の記念日をユさんぬと二人、思う存分満喫したいと思います^-^
以上、「私が愛猫に誓っていること【愛猫との約束】」でした。
ここまで見てくださって、有難うございました。
おじんぬでした^-^
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